書籍「不登校そうだんしつ」出版

あべが思うこと

失敗しないように

親として、

「失敗しないように」という気持ちは当然のことです。


転んで欲しいと思って歩かせる保護者はいませんしね。


多くの保護者は
「失敗しないように」と願いながら「親の務め」を頑張っているのだと思います。

 

しかし、
「親の務め」というものがあるとすれば、
「失敗しないように」ということよりも、もっと優先して欲しいことがあります。

 

それは、
「失敗したときに味方でいてあげること」です。

 

繰り返しですが、
「失敗しないように」と願うのは当然のこと。


けど、
大なり小なり失敗はします。


これは大人も同じですよね。
子どもの頃から自分の思い通りに全てを成功させてきた大人は、そういないでしょう。

 

誰でもする「失敗」。
それを、しないように、しないように、という動きをし過ぎると
いずれ本人たちは「失敗」が必要以上にこわくなります。


「失敗」の可能性があることを、
こわくてこわくて、できなくなります。


転んではいけない、という意識が強くなり
転ぶのがこわくて一歩も前に進めなくなります。

 

転んでできるスリ傷がこわいのではありません。


転んだときに、
みんなに笑われる、みんなに怒られる、
嫌な思いをする、落ち込んだ気持ちになる、

そして、
味方であって欲しい「親」にまで見放される、あきれられる、迷惑をかける、
ということがこわいのです。

 

転んだとき、失敗したときに、
誰よりも味方でいてあげて下さい。


誰よりも味方でいるということを伝えてあげて下さい。

 

転んだときに、
次は転ばないようにしてあげる、とか
転んだ原因を一緒に考えてあげる、とか


そういうことではなく、
転んだときに、
真っ先にかけつけて、痛くはないか、傷はないかと心配をする
そうした本能的なものを大切にして欲しいなと。

味方になるというのは、
「また転んでも大丈夫だろう」と本人が思える存在になることだと思います。

 

別に、
失敗を怒ってはいけないとか、なんでも許してあげてとか、
そういうことでもありません。


「味方」であれば、いいのです。


痛くはないか、傷はないか、と心配してあげられれば
それでいいのです。

 

「失敗しないように」と願うのは
親として当然のこと。


しかし時に「失敗しないように」という願いが
「失敗をさせない」「失敗してはいけない」「失敗は許されない」というプレッシャーになっていることがあります。

あるいは、そうした意識が幼少期から蓄積されて大きなストレスになっていくことがあります。

 

「失敗させない」よりも、
「失敗したときに味方でいてあげる」イメージを持ってみて下さい。


「私がいるから安心して転びなさい」と心から言えるならば、
それは決して「転ぶことを願っている」わけではないのだと、本人は絶対に理解できるはずです。


だって、親子ですから。