書籍「不登校そうだんしつ」出版

あべが思うこと

「子供の気持ちがわかる」ならイイんですけど

時たま、

保護者の方などから、おほめの言葉を頂きます。

お世辞半分とはいえ、嬉しいものです。

よく言われるのが、

「子供の気持ちをよくわかっていますね」というニュアンスの内容。

先日も、ある保護者の方からメッセージを頂きました、

「子供の気持ちをすごくわかっていてすごいです、私は親なのに子供の気持ちがサッパリわかりません」

と。

でも、ハッキリ、正直に書きますね。

ボクも、

子供たちの気持ちなんて、わかりませんよ。

ましてや、

「よく」わかっている、とか

「すごく」わかっている、なんて、とんでもないです。

謙遜しているのではなく、

ホントに、子供たちが考えていることが「わかる」ということは、ないです。

逆に、

気持ちがわかったら、どんなに楽だろうと思います。

わからないですよ、わからないです、全然わかりません。

仮に、似たタイプの子供たちがいたとしても、

考えていることは、それぞれ違うでしょうし、ホント、わかりません。

大事なのは、

「気持ちがわかること」ではなくて、

「わかろうとすること」だと思います。

違う言い方をすれば、

「わからないからといって否定しないこと」でしょうか。

別にこれは、

保護者が不登校生に接する場合に限ったことではないでしょう。

オトナ同士、子供同士、オトナと子供、外国人と日本人、

どんな場合であっても、

「わからないからといって否定しない」ことは、大切だと思っています。

自分の考えと違うからと言って、

自分の歩んできた道と違うからと言って、

自分の思っていることと違うからと言って、

否定的な気分になってしまっては、

「気持ちをわかろうとすること」は、難しいでしょう。

あと、もう1つ加えるとすれば、

「気持ちがわかる」ことはできなくても、

「察する」ように心がけられればイイなと思っています。

ちょっとビミョーな違いですけどね、

確信を持って

「子供はこう考えているはずだ」なんて、わからなくてもイイので

なんとなく、

「子供はこう考えているのかもしれないな、もしかしたら」くらいに、

ちょっと「察する」ことができれば、お互いにとってイイ気がします。

「考えていることがあるなら、自分でハッキリと言いなさい!」なんて怒ってもダメです。

だって、

オトナだって、自分の考えをいつでもどこでもハッキリ言うことなんて難しいんでしょう。

だから、「察する」ようにしてみるんです。

「探る」んじゃないですよ、

子供たちの秘密をあばこうってわけじゃないんですから。

「もしかしたら、こうなのかもしれないな」と察するようにしてみるんです。

察するように心がけてみて、

それで、「よくわからない」なら、それはそれでイイです。

でも、心がけてもらえればな、と思います。

そうすれば、いわゆる「サイン」が見えてくることがあります。

「子供が何を考えているのか、全く気持ちがわからない」

繰り返しですが、

ボクもそうです。

子供たちが、それぞれ何を考えているのか、

そんなことはサッパリわかりません。

でも、

サッパリわからなくても、否定しないでいて下さい。

サッパリわからなくても、察するように気をつけてみて下さい。

「気持ちがサッパリわからない、だからもうイイ、アンタなんか知らん!」

となる前に、

ちょっと待って、そして察するようにしてみて下さい。

そうすれば、

もしかしたら、本当に、気持ちがわかったりするかもしれません。